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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)32号 判決 1992年9月16日

原告 株式会社東京メディカル研究所

被告 狭山精密工業株式会社

被告補助参加人 国際交易株式会社

主文

特許庁が、昭和62年審判第8790号事件について、平成3年12月26日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者が求めた判決

1  原告

主文同旨

2  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「止血用メタルクリップ」とする特許第1052401号特許権の特許権者である。

本件特許権は、当初、朝倉哲彦外2名(以下「本件原特許権者」という。)が共有していたが、原告が、昭和61年9月25日、これを譲り受け、同年12月22日に移転登録を経て、特許権者となった。

被告は、弁理士斉藤春雄を代理人とし、昭和62年5月14日、原告を被請求人として、本件特許権につき特許無効の審判を請求し、同請求は、特許庁昭和62年審判第8790号事件として係属した。

被請求人である原告は、同事件の答弁書において、後記3(1) の事由を挙げて、斉藤弁理士が被告の代理人となって本件無効審判の請求をすることは、弁理士法8条1号に実質的に該当し許されないところであるから、同請求は、適法に代理人となる資格を有しない者による審判請求であり、特許法13条2項、4項に基づいて審判請求手続を無効とし、若しくは、同条1項1号及び135条に基づいて審判請求を却下すべきである、と主張し、同弁理士の違法行為に異議を述べ、終始、審判請求の効力について争った。しかるに、特許庁は、平成3年12月26日、上記被請求人(原告)の主張に対し、次項に記載するとおりの判断(以下、この判断を「審決の本案前の判断」という。)を示したうえ、「特許第1052401号発明の特許を無効とする。」との審決をし、その謄本は、平成4年2月10日、原告に送達された。

2  審決の本案前の判断

審決は、被請求人(原告)の上記主張に対し、「本件審判請求人代理人は、弁理士たる資格を有するものであること明らかであって、その手続能力に疑いはないから、本件無効審判請求は無効若しくは却下すべきものであるとの被請求人の主張は採用できない。」と判示した。

3  審決を取り消すべき事由

審決の本案前の判断は、以下に述べるとおり明らかに違法であるから、本件特許を無効とした審決の判断について論ずるまでもなく、審決は、違法として取り消されなければならない。

(1)  斉藤弁理士が被告(請求人)の代理人として、本件特許の無効審判を請求する行為は、弁理士法8条1号に違反する。その理由は、次のとおりである。

<1> 本件原特許権者は、昭和58年11月29日、被告補助参加人国際交易株式会社(以下、「国際交易」と略称する。)に対し、本件特許権につき通常実施権を許諾した。この際、斉藤弁理士は、弁理士としての職務上、これに関与し、上記許諾についての契約書を作成した。

<2> 昭和60年秋ころ、訴外株式会社東機貿の販売するメタルクリップが本件特許発明の技術的範囲に属し、同訴外会社の販売行為が本件特許権を侵害しているのではないかが問題となった。この事件に関し、斉藤弁理士は、本件原特許権者からの委任を受け、その代理人であることを明示して、昭和60年10月4日付けの警告書(表題は「申し入れ書」とされている。)を同訴外会社に差し出し、同訴外会社からの昭和60年12月12日付け回答書を受領するなどした。

すなわち、斉藤弁理士は、特許侵害事件につき本件特許権者の代理人として本件特許権が有効であることを前提に行動した。

<3> ちなみに、本件審判事件において、本件特許の無効を主張する被告が援用した公知文献「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル」1974年6月1日号478頁ないし481頁所載の論文は、元来、斉藤弁理士が<2>の事件の過程において、上記訴外会社の指摘によって職務上知り得た資料である。弁理士を業とする者が職務上知り得たこのような資料を利用して無効審判の請求をすることは、とりもなおさず職務上知り得た他人の秘密を漏泄及び窃用することにほかならないから、それ自体、弁理士法22条に該当する犯罪であり、許されないことといわざるをえない。

(2)  このように、斉藤弁理士は、本件特許権が有効であることを前提に、その行使及び擁護を目的とする行為を弁理士の職務として行ったのであり、その中には、本件特許権者の代理人としてのものも含まれている。

斉藤弁理士は、このような行為を行っておきながら、今度は一転してこれを攻撃する側に廻り、被告の代理人として、本件特許権者(原告)を相手とし、本件特許を無効にする審判を請求したのである。

同弁理士のこのような行為は、背信性の極めて強いものであり、「相手方ノ代理人トシテ取扱ヒタル事件」につきその業務を行うことを禁止した弁理士法8条1号に該当するという以外にない。

(3)  斉藤弁理士が本件特許権の行使及び擁護を目的とする行為をしていた時期と同弁理士がこれに対する攻撃を目的とする本件審判事件の代理人としての行為をした時期との間に、本件特許権者に変更が生じたという事情はある。

しかし、このような事情の存在は、斉藤弁理士の上記行為の背信性を弱めるものではなく、同行為の上記法条該当性は、これによって何らの影響も受けるものではない。工業所有権に関する専門職として公的な資格を与えられている弁理士としての地位にある者が、同一の特許権について、あるときは権利行使及び権利擁護の側に立ち、あるときは一転権利否定の側に加担するということ自体のなかに、背信性の根拠があるというべきであり、そうだとすれば、具体的な特許権者が誰であるかは、この問題につき、特別の意味を持たないといってよいからである。

(4)  以上に述べたところは、弁理士法14条に基づき規定された弁理士会則26条及び更にそれを承けて制定されている弁理士倫理規定(昭和58年9月29日制定。名称は、「弁理士倫理」とされている。)21条にそれぞれ次のように定められていることからも、明らかというべきである。

弁理士会則26条

「会員ハ出願人又ハ権利者ノ代理人トシテ取扱ヒタル権利ヲ攻撃スル者ノ代理人ト為リソノ他如何ナル方法ヲ以テスルヲ問ワズ弁理士法第八条ノ精神ニ悖戻スル行為ヲ為スコトヲ得ズ」

弁理士倫理規定21条

「弁理士は出願人又は権利者の代理人として取り扱った権利を攻撃する者の代理人となり、その他これに類する行為をしてはならない。」

(5)  付言するに、原告は、本件特許権を譲り受けた際、本件原特許権者に対し、多額の対価(500万円)を支払っている。ある財産権を有償で譲渡した者はその後になって当該財産権を否定したり毀損したりしてはならないということは信義則上当然の義務というべきであるから、本件原特許権者は本件特許を否定したり毀損したりすることを避けるべき義務を負っている。そして、この義務が、本件特許権につきかつて譲渡人である本件原特許権者の代理人として行動した者にも同じように課せられるべきであることは、委任契約に基づく信頼関係から見て自明の理というべきである。斉藤弁理士による前記無効審判の請求は、この義務にも反しているのであり、この点からもその効力は否定されるべきである。

(6)  以上のとおり、斉藤弁理士が被告(請求人)の代理人として、本件特許の無効審判を請求した行為は、弁理士法8条1号に違反し、かつ、被請求人である原告は、同事件において、答弁書を提出した段階以来一貫して、これに対し異議を述べ続け、審判請求の効力について争った。

このような場合には、斉藤弁理士による上記請求は無効と解する以外になく(昭和38年10月30日最高裁判所大法廷判決・最高裁判所民事判例集17巻9号1266頁、昭和44年2月13日最高裁判所第一小法廷判決・最高裁判所民事判例集23巻2号328頁参照)、審決は、本件無効審判の請求を不適法な請求として却下すべきであった。ところが、審決は、そうしないで実体に立ち入って判断し、本件特許権を無効とした。

したがって、本件審決は、違法として取り消されるべきである。

第3請求の原因に対する認否、反論

1  認否

請求の原因1、2の事実は認める。

同3(1) の<1>、<2>の事実は認める。<3>の事実は否認する。

同3(2) ないし(6) の主張は争う。ただし、弁理士会則及び弁理士倫理規定に原告主張の定めがあることは認める。

2  反論

斉藤弁理士には、弁理士法8条1号に違反する行為はない。

同弁理士は、昭和58年に国際交易が本件特許権につき本件原特許権者から実施の許諾を受けることになって以来、国際交易の依頼のみを受けて、その職務を行ってきたのであって、この事実は、同弁理士が、現在まで本件原特許権者と全く面識を有していないことからも明らかである。

(1)  本件原特許権者が国際交易に対し通常実施権を許諾した際、斉藤弁理士がこれに関与したのは、もっぱら国際交易の依頼に基づくものであり、その関与の程度は、国際交易に契約条項のひな型を提供しただけにすぎない。

(2)  斉藤弁理士は、訴外会社東機貿に対する本件原特許権者の申入れ書(警告書)に代理人として記名押印したが、この申入れ書は、本件特許の実施権者である国際交易が同訴外会社の侵害を排除するため、同弁理士に依頼して作成させ、発送させたものである。この文書を同訴外会社に宛て発送することについての本件原特許権者の了解も、国際交易が得てきたものである。

このような経緯に徴すれば、上記申入れ書は、特許権の侵害に対する警告書は特許権者名でなければできないことから、本件原特許権者の名義が借用されたものに外ならない。

(3)  原告は、斉藤弁理士が同訴外会社からの回答書で職務上知り得た公知資料を、被告(請求人)が本件審判事件で無効の理由に援用したことをもって、職務上知得した他人の秘密の漏泄又は窃用となる旨主張しているが、そのような事実はない。しかも、本件審決は、この資料を本件特許を無効とする判断資料として用いていない。

(4)  なお、付言すると、被告は、国際交易の下請けとして本件特許発明を実施した止血用メタルクリップの製造に従事していたところ、国際交易と原告との間で、国際交易が本件特許の実施権を有するか否かをめぐって紛争が発生したことから、製造業者としての自己の立場を守るため、本件無効審判の請求をなすに至ったものである。

第3抗弁(瑕疵の治癒)

原告は、本件におけるのと同一の理由に基づいて、昭和62年9月21日付けの答弁書で本件無効審判の請求の無効を主張し、さらに、昭和62年10月2日、斉藤弁理士の懲戒を弁理士会に申し立てた。そこで、同弁理士は、答弁書が請求人に発送されるに先立ち、昭和62年10月12日に代理人を辞任し、同月22日、新たに小松祐治弁理士が請求人代理人に選任され、以後の手続きは同弁理士によって進められた。

したがって、仮に本件無効審判の請求の当初に手続上代理人の選任につき瑕疵があったとしても、その瑕疵は、本件審決を無効とするに足るほどの重大な瑕疵ではないのみならず、斉藤代理人が直ちに請求人代理人を辞任し、新たに代理人が選任されたことにより、治癒されたものというべきである。

第4抗弁に対する認否

斉藤弁理士の辞任及び新たな弁理士の選任の事実関係は認める。

しかし、瑕疵が治癒されたとの主張は争う。上記瑕疵は、請求代理人である斉藤弁理士の本件無効審判の請求行為自体が弁理士法8条1号(弁理士会則26条及び弁理士倫理規定21条)の禁止規定に明白に違反するというものであり、上記禁止規定の趣旨が、本人と代理人との単なる個人的な関係を規律することにあるのではなく、公益を図り、社会的秩序の維持を全うするため、所定の行為を弁理士が行うことを厳しく禁止することにある以上、上記事実によってこの瑕疵が治癒されると解する余地はない。

第5証拠<省略>

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(審決の本案前の判断)の事実は当事者間に争いがない。

また、同3(1) の<1>、<2>の斉藤弁理士の一連の行為に関する事実、弁理士会則及び「弁理士倫理」に原告主張の定めがあることは、当事者間に争いがない。

上記事実によれば、斉藤弁理士は、弁理士としての職務上、昭和60年10月、本件原特許権者と訴外株式会社東機貿間の本件特許権についての特許侵害事件につき、特許権者の代理人として、本件特許権を擁護する立場に立って行動したが、昭和62年5月、被告の代理人として、本件特許の無効審判を請求し、本件特許権を攻撃する立場に立って行動したこと、この間の昭和61年12月、本件特許権は、本件原特許権者から原告に譲渡されたことが明らかである。

2  以上の事実関係を前提に、斉藤弁理士が本件特許の無効審判を請求した行為が、弁理士法8条1号に違反するものであるかどうかについて判断する。

わが国の現行制度の下において、工業所有権に関する専門職として公的な資格を認められている弁理士は、弁理士会が昭和53年9月29日に制定した倫理規定である「弁理士倫理」の前文に宣言されているとおり、「産業上の創意、創作を育成し、擁護し、工業所有権制度の健全な運用と発達に寄与し、もって社会の進歩、発展に貢献する」(成立に争いのない甲第7号証)使命を有するものである。そして、特許権を初めとするいわゆる工業所有権は、特許庁の審査手続を経て設定登録されることによってのみ発生するものであり、また、発生した工業所有権に無効原因があるときは、特許庁における無効審判手続を経て、これを無効とする旨の審決が確定することによってのみ無効となるものであり、弁理士は、弁理士法1条に規定される業務を行うことを通じ、この工業所有権の帰趨に深く関与するものであることは明らかである。

このような立場にある弁理士が、同一の特許権について、あるときは、その権利の行使又は権利の擁護に回り、あるときは一転して、その権利の無効を主張しその権利を攻撃するような行為に及ぶときは、当事者のみならず、広く世人をして、弁理士一般に対する信用を失墜させるおそれがあるばかりでなく、特許権を初めとする工業所有権の法的安定性に疑念を抱かせ、その権利の社会的価値を毀損し、ひいては、工業所有権制度の健全な運営と発展を阻害するに至るおそれがあるといわなければならない。

弁理士がその自治規範として制定した弁理士会則26条が前示当事者間に争いがない内容の規定を定め、「出願人又ハ権利者ノ代理人トシテ取扱ヒタル権利ヲ攻撃スル者ノ代理人ト為」る行為を特に取り上げて、「弁護士法第八条ノ精神ニ悖戻スル行為」を唯一例示する行為として挙げ、また、前掲甲第7号証によれば、「弁理士倫理」21条が、弁理士として禁止されるべき行為として、上記行為を「相手方の代理人として取り扱った事件を受任」する行為と並立させて規定していることが認められる。このことからすれば、権利が同一のものである限り、その権利が譲渡その他の原因により移転し権利者が変わったとしても、上記行為は、弁理士一般の信用を失墜させ、工業所有権制度の健全な運営、発達を阻害するに至る重大な職業倫理違反行為と認識され、このような行為を弁理士の業務として行うことを固く禁止する法規範が弁理士法の下で確立しているものということができる。

以上の考察に従えば、弁理士法8条1号の規定は、上記行為を含めた意味において規定されているものと解釈するのが相当である。したがって、前叙事実関係の下で、斉藤弁理士が被告の代理人として、本件特許の無効審判を請求した行為は、同規定に違反する行為といわなければならない。

3  前示当事者間に争いのない事実によれば、本件審判事件において、被請求人である原告は、答弁書で斉藤弁理士の上記違法行為に対し異議を述べ、終始、本件審判請求の効力について争っていたことが明らかであるから、本件無効審判の請求は無効であるといわなければならない。

被告は、抗弁として瑕疵の治癒をいうが、採用できない。本件無効審判の請求の瑕疵の性質が先に述べたようなものであり、被請求人(原告)が異議を述べ続けていた以上、斉藤弁理士の辞任及び新たに選任された代理人による手続きの続行があったからといって、これによって瑕疵が治癒されることはないと解すべきであるからである。

4  以上のとおりであるから、本件無効審判の請求を有効とした審判の本案前の判断は誤りであり、したがって、審決は、その余の点を判断するまでもなく、違法として取消しを免れない。

よって、原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 牧野利秋 山下和明 三代川俊一郎)

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